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2013年11月21日 (木) | 編集 |
ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語〈30〉終わりの始まり〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈31〉終わりの始まり〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈28〉すべての道はローマに通ず〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
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マルクス・アウレリウス(161-180)からセプティミウス・セヴェルス(193-211)まで。

五賢帝の最後の一人、哲人皇帝マルクス・アウレリウス。
哲人皇帝と称されながら、彼は常に戦場に在った。

トライアヌスとハドリアヌスの時代に防衛線が強化され、蛮族は侵入することができず、アントニヌス・ピウスの時代は平和に過ぎた。
そのため、アントニヌス・ピウスはその治世の間、マルクス・アウレリウスは皇帝になるまでの間、戦地に赴かなくても済むといった状況であった。
それがかえって、軍事の経験を奪うことにもなったという皮肉である。

ローマは、ライン川、ドナウ川、ユーフラテス川を防衛線とし、専守防衛を方針としていたが、侵入してくるものがあれば戦わざるを得ない。
そして、軍事の最高責任者は皇帝である以上、軍事に関する知見・経験は必須である。

もともとローマのエリートは、民政・軍事の区別なく様々なポジションを経験することで、そのいずれの経験も積んだ人間が執政官となり元老院議員となった。
これが徐々に崩れていくのである。

さて、マルクス・アウレリウスの治世において、不穏な動きは東方から始まった。
パルティアのアルメニア進行であり、ローマの一軍団が壊滅する事態になった。
しかし、トライアヌス・ハドリアヌス治世下の防衛システムは生きており、体制を整えなおしたローマ軍は反撃し、再び防衛線の確立を成し遂げる。

一息ついたマルクス・アウレリウスは、次にドナウ川に移り、ゲルマンの諸民族と事を構える。
なお、のちにゲルマン民族大移動を言われる動きにより、ローマが滅びることになるが、ライン川・ドナウ川をはさんで、ゲルマン民族はずっとローマへの侵入を試み続けていた。
防衛線が確立していたころはその侵入を許さなかったが、時代が下るにつれ、徐々に侵入をゆるし、最後には東ローマを除いてゲルマン民族の国家が乱立するのである。

マルクス・アウレリウスは、自身の軍事経験の無さを自覚し、ベテランを登用して対応していく。
経験はなくとも責任感の強かった哲人皇帝の治世は戦場にいることで過ぎ、終わりを迎える。

前線で斃れたマルクス・アウレリウスの跡を継いだのは息子のコモドゥスである。
世襲によって賢帝の時代は終わった。
しかし、他の賢帝は跡を継がせられる息子がいなかったから有能な者に帝位を託したのであって、息子がいながら他者を後継者とすれば、内乱を招きかねない。
内乱は、人も財産も時間も、あらゆるものを浪費し、しかも取り返せない。

コモドゥスの治世は10年を超えるが書くべきこともない。
政策も人気もなかった彼は暗殺され、武将たちによる内乱が起きる。
マルクス・アウレリウスが避けようとした内乱が、結局は起きる。
ペルティナクス、ディディウス・ユリアヌス、クロディウス・アルビヌス、ペシェンニウス・ニゲル、セプティミウス・セヴェルスが争い、セプティミウス・セヴェルスが最後の勝者になった。

セヴェルスは、軍の強化を図り、軍人の待遇向上に努めた。
従来、軍務を勤め上げた40代から第二の人生が始まったが、その必要がなくなり軍人であり続けることも可能となり、軍が社会から隔絶するきっかけとなった。

何度も書くが、高位高官も含めローマ市民は、シビリアンでもありミリタリーでもある。
そもそもそういった区別もなく、多様な経験を活かしていくといった生き方をしていた。
軍が切り離された結果、多様な視点から物を見る人材が輩出されなくなり、蛮族からのローマの防衛が最重要課題である以上、軍から皇帝が選出されることとなり、さらには元首としての皇帝ではなく、専制君主としての皇帝へと変わっていく。
これはある日突然変わったのではなく、代々の皇帝がローマを守るためと考えて行った政策が積み重なった結果、そうなっていったというものである。

内乱後のローマの立て直しに努めたセヴェルスはブリタニア遠征中に死ぬ。
息子のカラカラが跡を継ぐが、ローマは軍人皇帝時代に突入していく。
次巻。



メモ。

賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という格言があるそうだが、私の考えでは、賢者の側にいたければこの両方ともが不可欠である。「歴史」、書物と言い換えてもよいが、これを学ぶ利点は、自分一人ならば一生かかっても不可能な古今東西の多くの人々の思索と経験までも追体験できるところにある。一方、自身の「経験」は、追体験で得た知識を実際にどう活かすか、または活かせないか、を教えてくれる役に立つ。つまり、机上で学んだことも、実体験とかみ合わせることではじめて活きた知識になるのだ。このような考えに立つならば、正確な情報さえ得られれば適正な対策を立てられると思いこむのは、知識ないし情報の過信であり、対策を講ずるうえでは危険でさえある、と思うようになる。
(文庫版29巻97、98ページ)

情報は、自動的に機械的に集まってくるものではない。収集の段階ですでに、人間の介在は避けようがない。集めて送る人は、それが重要と思うから集め、送るのである。つまり、集め送るときにすでにそれを行う人の問題意識が介在する。だが、それだけでなく、情報を受けそれを活用する段階でもさらに、それを行う人の問題意識が介在せざるをえないという性質をもつ。
(文庫版29巻98ページ)

「ミリタリー」は戦争のプロなので、始めた以上は最後まで行く戦いでないと、もともとからしてはじめないのだ。意外にも「シビリアン」のほうが、戦争のプロでないだけに、世論に押されて戦争をはじめてしまったり、世論の批判に抗しきれずに中途半端で終戦にしてしまう、というようなことをやりがちなのである。
(文庫版30巻150ページ)

周囲に押されて、というのは一見理想的に見えるが、乱世で最も成功率の高いのは、自身で強烈に望んだ場合のほうである。強い意欲の結果であるからには目標の設定も明確で、その目標に達するに必要な手段の選択でも、真剣度がまるでちがってくる。反対に、周囲に押されて、の結果となると、目標も漠然とし手段の選択にも迷いが出てくるという具合で、すべてが中途半端になりやすい。
(文庫版31巻78ページ)

いや、もしかしたら人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、おおかた埋まっていると言ってもよいのかもしれない。
(文庫版31巻108ページ)





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ローマ人の物語 ― 終わりの始まり - Mae向きな日記
「終わりの始まり(上」ローマ人の物語29、塩野七生 なんにしようかな。
ローマ人の物語XI「終わりの始まり」の読みどころ わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

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