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2013年11月17日 (日) | 編集 |
ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
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トライアヌス(98-117)、ハドリアヌス(117-138)、アントニヌス・ピウス(138-161)。

ドミティアヌスの時代にライン河の司令官に任命されたトライアヌスだったが、ドミティアヌスが暗殺され、ネルヴァが帝位に就くと、ネルヴァから養子に迎えられた。
皇帝から養子に迎えられるということは、次の皇帝に指名されるのと同義である。
高齢であったネルヴァが死ぬと、トライアヌスは40代半ばで帝位に就く。

トライアヌスの時代にローマの領土は最大となった、と教科書で学ぶ。
カエサルがローマの防衛線を画して以来、積極的な領土拡張を目指さなかったのがローマだったが、トライアヌスの時代、ドナウ河下流の北岸にてダキア族が勢いを増す。
トライアヌスはこれを叩くことでローマの防衛を確保しようとしたのだった。

トライアヌスとそのあとに続くハドリアヌスは、インフラの整備、防衛線の整備につとめることになる。
ハドリアヌスにいたってはほとんどローマを不在にするということで元老院からは不評だったが、広大な帝国の維持は、地道なチェックと、不備を見つけたならば速やかに補修することによってしかなしえない。
政治はパフォーマンスではないのである。

トライアヌスは晩年に、パルティア・アルメニア遠征も成功させ、「至高の皇帝」(Optimus Princeps)の称号を受け、帰路に死ぬ。

五賢帝の三人目はハドリアヌスである。
トライアヌスと同じ地方の出身であり、トライアヌスが後見人となっていた縁もあった。
縁だけで皇帝になれるわけではないが。

上で述べたが、ハドリアヌスは帝国の防衛線のすべてをまわった。
といって特別戦争をしていたわけではない。
トライアヌスとハドリアヌスの地道な努力によって国の平和は守られていた。

ハドリアヌス治世のほとんど唯一の大規模な戦闘はユダヤの反乱だった。
ユダヤは一神教であるがために、ローマ世界に溶け込むことがなかった。
これを良しとしないハドリアヌスがついにイェルサレムを破壊した。

その後ハドリアヌスは、アントニヌス・ピウスを養子にする。
アントニヌス・ピウスの養子にマルクル・アウレリウスを迎えることを条件として。

アントニヌス・ピウスの治世は、トライアヌスとハドリアヌスの作り上げたものを維持するだけで物事が回った。
無為ということではなく、先帝がつくった枠組みの維持に力を注いではいた。

トライアヌスの時代に最大版図となった大帝国を支えたインフラはどのようなものであったか。
次巻。



メモ。

ローマの人材登用にコネが多いことについて塩野先生は以下のとおり述べている。
現代ではコネというとそれだけで悪感情を持たれるが(自分もそういう目で見がちだが)、当時のコネはノブレスオブリージュを当たり前の感覚としてもっていた上級社会の人間たちによるものであったので、今考えられる弊害は少なかったのかもしれない。

それにしても、帝政時代のプリニウスでも共和政時代のキケロでも、書簡を読むとコネのことばかりという感じで、ローマ社会はコネで動いていたかのような印象をもってしまうが、縁故による人材登用は、システムとしてそれほど悪いものであろうか。
ローマ人はついに、中国の科挙のような制度をつくらなかった。当時の大学としても良いギリシアのアテネや小アジアのロードス島やエジプトのアレクサンドリアで学んだ者が、それだけで帝国の中枢に入れるわけではまったくなかった。エリート養成ないしプールを目的としていた機関は、元老院だけである。だがこの元老院にも、議員を父にもてば自動的に入れるというわけではない。会計検査官か護民官に当選し、その任期を勤めあげることが条件になっていた。皇帝には推挙の権利があったので、軍団たたきあげにも道は開かれていたのである。
子のローマ人が人材登用にコネを重要視したのは、彼らの現実主義的性向のあらわれの一つであったとさえ思う。コネとは、責任をもってある人物を推薦することだ。人格才能ともに優れた人が推薦するならば、人格も才能も優れた人が推薦される可能性も高くなる。もちろん、この場合でも常にリスクはあった。しかし、客観的な試験ならば、無能や悪質な行政官を産むリスクは回避できるであろうか。
ユリウス・カエサルは、キケロが推薦してくる若者ならば誰でも自分の部下にしてしまったが、それはキケロの識見を買ったからである。トライアヌスも、プリニウスの依頼をほとんど満足させてやるが、これもまたプリニウスの誠実さと公共心の高さを認めたがゆえであった。人材登用は勝負である。この勝負の参加者には、登用者と登用される者の二人だけではなく推薦者も加えるというのが、つまり参加者全員に責任をもたせるというのが、ローマ人が縁故採用を多用した理由ではなかったかと思う。
(文庫版24巻249、250ページ)


君主ないしリーダーのモラルと、個人のモラルはちがうのである。一私人ならば、誠実、正直、実直、精練は、立派に徳でありえる。だが、公人となると、しかも公人のうちでも最高責任者となると、これらの徳を守りきれるとはかぎらない。ラテン語では同じく「ヴィルトゥス」(virtus)だが、私人ならば「徳」と訳せても、公人となると「器量」と訳したのでは充分でない場合が少なくなく、しばしば「力量」と訳さざるをえなくなるのである。
(文庫版25巻65ページ)

政治は非情なものなのだ。そのことを直視しないかぎり、万人の幸せを目標にすえた政治はできない。そして、政治を行うには必要不可欠である権力も、それを行使するには権力基盤が堅固であることが先決する。権力の基盤が確立していないと、権力の行使も一貫して行えないからである。
(文庫版25巻68,69ページ)

自らの考えを実現するという幸運に恵まれた人と、それによる成果を享受する人とは、別であって当然ではないだろうか。とくにそれが、公共の利益を目的としたものであればなおのこと。
(文庫版25巻128ページ)

ローマ人は、思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、情況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする。ローマ人は、計画なしの性向は調査の重要性を忘れさせる危険があるが、調査を完璧にした後での失敗は、再び失敗を繰り返さないための有効な訓練になると考えているのである。それに、幸運による成功は誰の功績でもないが、情況調査を完璧にしたうえでの失敗であれば、少なくとも対策ならば充分に講じたという慰めは得られるのだから。
(文庫版26巻43ページ)

ギリシア人の歴史とローマ人の歴史を分ける最も明らかなちがいは、前者は、都市国家(ポリス)間の抗争の歴史であり、後者は、権力抗争はあっても都市間や部族間の抗争はなかった、という一事であろう。
(文庫版26巻179ページ)



余談。
「テルマエ・ロマエ」に出てくるのがハドリアヌスである。
映画版では戦争ばかりしているといった描写があったと思うが、積極的に戦争をしていたのはトライアヌスの方だろう。
ハドリアヌスは防衛線の確認・補強が主である。
ついでに、もう一つ。
ローマ史上、皇帝の暗殺は多々例があるが、意外にも裸になる浴場での暗殺はないという。





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「賢帝の世紀(上」ローマ人の物語24、塩野七生 なんにしようかな。
『ローマ人の物語 24~26・賢帝の世紀』 - 塩野七生 著 風の歌を聴け
ローマ人の物語IX「賢帝の世紀」の読みどころ わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

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