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2006年12月20日 (水) | 編集 |
裁判官が日本を滅ぼす
裁判官が日本を滅ぼす


裁判官が、法律論にのみ終始し、世のことを識らず、とんでもない判決を次々下す。
表現の自由を蔑ろにする判決を下し、民主主義を揺るがす。
簡単に言うと、こんな内容。


少し前提となる話を。

憲法76条3項にはこうある。
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」
裁判官の身分を保障することにより、立法、司法、行政の三権のうち、司法権の独立を保持している。
政党政治が行われる現状においては、このことの重要性は増しているんじゃないだろうか。

法律というのは、「事象Aがある場合(要件)、Bという結果を招く(効果)」という作りが基本。
たとえば刑法235条。
「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」
「窃盗をすると(要件)、懲役に処せられる(効果)」ということになる。
なお、ここで、「十年以下」と書いてあるのは、最大十年として、裁判官の裁量で懲役の期間を定めることができることを意味している。

事実を認定し、法律へのあてはめを行い(要件に合致するかどうかを検証)、法律に規定された効果が生じるかどうかを判断する、というのが裁判所の働きであるといえば分かりやすいでしょうか。

ハイ、前提はここまで。

本書では、裁判官の行う事実認定に問題があり、ということが説かれている。。
具体的な事件をもとに、この事件ではこんなおかしな判断が下されている云々といった具合に。
なぜ、彼らが事実認定をきちんとできないかというと、法律の世界しか知らないからだと言う。
どんな事件でもさまざまな事情があるにもかかわらず、裁判官は要件として取り上げるべき事実しか見ようとせず、事情の部分を捨象してしまう。
常人であれば事情を踏まえた上で事実を見極めようとするところを、事情を捨象してしまった裁判官は信じられない判断を下す、という。

すべての裁判官がそうだというわけではないだろうけど、本書を読んでいると、唖然とするばかりだし、憤ることも、悲しくなることも多かった。

経済とかITとか医療とか他の分野のことまで知っているわけではないだろうに、法律の世界では優秀であるために、間違ったエリート意識みたいなのが芽生えてしまっているんだろうか。
司法試験がべらぼうに難しいせいで(?)、何年も司法浪人して、受かって、司法修習受けて、裁判官になるような人は、それ以外の世界をホントに全然見ないだろうしなぁ。
任官後も忙しすぎて、世事に疎くなって、事実認定を誤るのか。
弁護士や検察官も司法修習までは同じだとしても、現場に出ると色んなモノを目の当たりにして揉まれるから違うのか。

著者は、解説にて、裁判員制度、ロースクール制度に期待を寄せると言う。
前者に関して言うと、本書のような裁判官相手に、裁判員になると面倒そう…。
後者には僕は期待していない。
ロースクールは金がかかる点でブルジョワの再生産、階級の固定化を招くんじゃないかと心配。
固定化された階級が、司法の独立を守れるか。

旧司法試験であれば、誰でもいつでも受験できたのに、ロースクールを経ないと受験すらできないというのは、法曹の世界への門を狭めてしまうことになる。
門戸を広く開けておき、多彩な人材を受け容れる度量はないのか。
ロースクールでは、より専門的、実地的な観点での教育を行うと言うが、大学・大学院での法学教育を見直したらどうか。

あとがきは、櫻井よしこさんが書いていて、これほど読み応えのあるあとがきは初めて。
全てにおいて、色々考えさせられる本だった。

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