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2006年01月01日 (日) | 編集 |
あけましておめでとうございます。
“年末の挨拶”同様、“年始の挨拶”に代えて人物紹介・・・なんだかんだ言って、年末年始を呼応させて記事を書いている自分が笑える。

高杉晋作
高杉晋作


さて、今日は高杉晋作。
竜馬好きのおれは当然のごとく知っている名だけれど、竜馬小説に出てくる形でしか知らなかったので、晋作を主役として扱う作品を読んでみたかった。

長州の人。
1839年に生まれ、1867年に没す。

吉田松陰の松下村塾に入門し、影響を受ける。同門は久坂玄端ら。
松陰が幕府に処刑されたことで、幕府を恨む。

上海に留学中、欧州列強の植民地政策を目の当たりにし、危機感を募らせる。
帰国後、長州と列強との間で戦闘が生じ、長州正規軍がこれに当たるが、役に立たない。
なにせ、刀と槍でもって銃や大砲と戦おうというのだから敵うはずもない。
兵の多寡もさることながら、装備の充実の重要性を認識し、奇兵隊を創設する。
奇兵隊は身分を問わず、入隊できる(この点、竜馬の亀山社中と通じるものがあるか)。
当時の戦闘に出るのは武士階級だけという固定観念からすると、大きな前進である。

余談だけれど、晋作と大村益次郎(村田蔵六)が倒れなければ、明治陸軍はだいぶ違っていたのではないかなど妄想する(大村益次郎も長州の人で、当時日本で一番の兵学者だった)。
もう少し妄想させてもらうと、竜馬の亀山社中(海援隊)・中岡慎太郎の陸援隊・晋作の奇兵隊が、竜馬・慎太郎・晋作が生きたままで率いられていたら、どれだけ面白い歴史になっただろうかなどと思う。

1864年には、薩摩との政争に破れ朝敵とされてしまい(蛤御門の変)、しばらく苦難の日々が続く。
竜馬の仲介により薩長同盟が結ばれるのが1866年2月だが、蛤御門の変では晋作の同士が相当数死んでおり、その無念はどれほどであったかと思う。
しかし、大きな目標である倒幕のために、同盟を結ぶこととしたのだ(この点も、友人であった武市半平太を殺した後藤象二郎ら土佐藩上士と手を結んだ竜馬に似ている気がする)。
小義のために大義を忘れてはいけない、ということか。
あまり貫徹すると冷たい人間と評価されて辛いこともありそうだが。

1866年6月から幕軍が長州征伐を開始、長州は応戦、晋作も出陣する。
幕府に勝利するものの、体調を崩し始めた晋作は倒れ、1867年4月に死す。
10月の大政奉還を目前にして逝ってしまった。
28歳。
若すぎる死。

タイトルは晋作の辞世の句。
下の句の「すみなすものは心なりけり」は、晋作が上の句を書いて筆を落としたので、看病していた野村望東尼が続けたという。
世の中に文句を言う人は色々いて、愚痴など言わないと息が詰まるからそれはそれで良いと思うのだけど、一歩進めてどうやって変えるかということを考えたい。
晋作の辞世の句は、自分の力で切り開くというところが性に合っていて気に入った。
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コメント
この記事へのコメント
高杉晋作と坂本竜馬が生きてたら、明治政府はもっと違っていただろうね。
あの時代を見ていると、歴史は人が作ってるんだってのを実感します。
2006/01/02(Mon) 09:14 | URL  | うろ #-[ 編集]
そうそう、そうなの。
ほんとにねぇ、もっと生きててほしい人材がいっぱいいるんだよ~。
江藤新平、河井継之助(蒼竜窟)などなど。
こういう妄想は楽しい・・・(笑)
2006/01/02(Mon) 09:45 | URL  | 月 #JalddpaA[ 編集]
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