2013年11月29日 (金) | 編集 |
ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
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395-476まで、およびそれ以降。

テオドシウスは息子二人に西方と東方をそれぞれ託したが、東西分離を意図したのではなく、従来続いていた分担をしたのであった。
しかし、息子たちとその側近たちは次第に分離していき、別の国家として動いていくようになった。

蛮族のたびたびの侵入により第一に被害を被るのは農業に携わる者である。
ローマの防衛線が機能しなくなったいま、彼らは農奴となり豪族や教会の荘園で、守られる代わりにその支配に入ることとなる。

ローマの人材面の衰退は、シビリアンとミリタリーを分けたことにある。
建国以来、王政、共和政、元首政、帝政とあったが、国のトップに立つ人物は政治・軍事に携わらざるを得ない。
シビリアン、ミリタリーの両方の経験を積むことができたシステムが、シビリアン・ミリタリーを分けたことにより崩れ、人材の質が低下した。

あらゆる面で衰退に向かっていたローマを支えていたのがスティリコであった。
国の危機にもかかわらず、スティリコを快く思わない者たちはおり、陰謀によってスティリコは処刑に追い込まれた。
いつの時代もどんな国にもこのような者たちはいるが、後先考えないのだろうか。

スティリコの抑えがなくなり、アラリックにより首都ローマは蹂躙される。

その他の地域でも蛮族は侵入、というよりも定住していく。
ゲルマン民族も、フン族に追われ、押し出されるようにしてローマに“移住”してきたのであった。
そのフン族を率いていたのがアッティラだが、アッティラが死ぬとフン族の脅威は消えた。
脅威が消えたのはゲルマンにとってであり、ローマにとってはゲルマンという脅威は全く消えないままである。
フランク、ブルグント、東西ゴート、ヴァンダル、アングロ・サクソンらによってローマ西方はほぼ失われる。
最後の皇帝ロムルス・アウグストゥスはオドアケルにより退位させられ、西ローマは滅亡する。
西ローマの跡地には上述のゲルマン諸族の国が成立する。

東ローマ、以下ビザンチン帝国というが、ユスティニアヌス帝が往時のローマの領域を取り戻そうとし、将軍ベリサリウスを派遣する。
ユスティニアヌスの時代に一時的にはイタリアなどを取り戻すが、長くは続かない。
中央集権化が進み、官僚制ができあがったビザンチン帝国では、占領行政は官僚の役割であった。
ローマでは、シビリアンもミリタリーも経験した司令官が統治も自ら行うが、中央から派遣された官僚ではうまくいかなかった。
そして、蛮族とビザンチンによるイタリアの争奪が繰り返され、イタリアは荒れていく。

ユスティニアヌスの死後、ビザンチンが得た旧西ローマは蛮族に奪われ、またアラビア半島からはイスラム勢力が押し寄せた。
イスラム勢力は、北アフリカをまわり、イベリア半島まで侵略した。
地中海がローマの内海であった時代は完全に終わりをつげ、北と南を分かつ海となった。
ローマ世界はこうして消滅していった。
了。





* * * * *
塩野七生著「ローマ人の物語~ローマ世界の終焉」(1) - 弁理士の日々
ディックの本棚 ローマ世界の終焉〈上〉~ ローマ人の物語41/塩野七生 - livedoor Blog(ブログ)
『ローマ人の物語 41 ローマ世界の終焉(上)』 塩野七生 アレクサンドリア図書館

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2013年11月27日 (水) | 編集 |
ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)
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コンスタンティウス(337-361)からテオドシウス(379-395)まで。

コンスタンティヌスの死後、ローマは息子3人が継いだ。
その中でコンスタンティウスのみが生き残る。
コンスタンティウスは、血縁者を副帝にするが自ら殺し、しかし蛮族・ペルシアと戦ううえでやはり副帝が必要となり、一人残っていたユリアヌスを副帝にした。
蛮族の侵入が激しくなっているのに内戦を繰り返し、将官クラスも、兵も死ぬ。
結局はローマの防衛力の毀損である。

ユリアヌスは西方を任される。
副帝になるまでは飼い殺しされていたが、任命された後、まじめに責務を果たし、西方の軍団の支持を得るまでになる。
そして軍団から正帝に推挙され内戦が生じるかに思われたが、コンスタンティウスが没したため、内戦は避けられ、ユリアヌスがそのまま正帝となった。
ユリアヌスは背教者と言われるが、これは後に権力をもったキリスト教からの呼び方である。
ユリアヌスは。多神教のローマに戻そうとしただけだった。

正帝になって数年後、ユリアヌスはペルシアとの戦いの中で死ぬ。
ユリアヌスの後の皇帝はキリスト教徒であった。

この時期、蛮族にも動きがあった。
フン族の登場である。
ライン川、ドナウ川をはさんで対峙していたのは中世の主役となるフランク、アングロ、サクソン、ゴートなどであったが、その向こうからフン族が押し寄せてきたのである。
ゲルマン民族にせよ、フン族にせよ、物資が少ないため、豊かなローマに押し寄せ、押し出されてくるのである。
5世紀に突如として現れローマを滅ぼしたのではなく、過去からずっと彼らは存在し、ローマはこれを食い止めようとしていた。
それがままならなくなり、ついに滅んでいくのである。

フン族の登場に伴い、ゴート族がドナウ川流域に侵入し居ついてしまう。
その頃東方はテオドシウスが担当している。
西方はグラティアヌスが担当していたが司令官の反乱で死亡して、幼いグランティニアヌス2世が西方を担当するが、実質的にはテオドシウスがローマ全域を見ることになる。
テオドシウスはすでに洗礼を受け、キリスト教徒になっていた。
テオドシウスがキリスト教以外を全面的に禁止したことによって、キリスト教がローマの国教となる。
一神教のキリスト教は、他の宗教、他の神を認めないため、多神教であった時代のローマの遺産を破壊していくことになる。
これが見直されるのはルネサンス期だが、人類の財産がどれほど失われたことだろうか。

アンブロシウスという当代随一の実務家がおり、彼がキリスト教会の仕組みを作り上げていく。
一神教ゆえに神以外崇めてはいけないが、人間は誰かにすがりたいという気持ちがある。
そこでアンブロシウスは守護神ではなく守護聖人を大量に生み出すこととした。
宗教といえど、一応の理屈の通る仕組みが作られることが重要で、それが満たされれば機能する。
世俗と隔絶したものではないということで、アンブロシウスはその点非常に有能な男だった。

こうしてローマが完全に異質なものに変化していくなか、テオドシウスは、二人の息子にローマを東西に分けて残して死ぬ。
次巻。



メモ。

改革がむずかしいのは、既得権層はそれをやられては損になることがすぐにわかるので激しく反対するが、改革で利益を得るはずの非既得権層も、何分新しいこととて何がどうトクするのかがわからず、今のところは支持しないで様子を見るか、支持したとしても生ぬるい支持しか与えないからである。だから、まるで眼つぶしでもあるかのように、早々に改革を、しかも次々と打ち出すのは、何よりもまず既得権層の反対を押さえこむためなのだ。
(文庫版39巻58、59ページ)

権力とは、他社をも自分の考えに沿って動かすのことのできる力であって、多くの人間が共生する社会では、アナルキア(無秩序)に陥ちたくなければ不可欠な要素である。ゆえに問題は、良く行使されたか、それとも悪く行使されたか、でしかない。
(文庫版39巻59ページ)





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塩野七生「ローマ人の物語~キリストの勝利」 - 弁理士の日々
もっと、うららかな日々 『ローマ人の物語』ⅩⅣキリストの勝利/塩野七生
『ローマ人の物語 38 キリストの勝利〔上〕』 塩野七生 (新潮文庫) Untidy Bookshelves-ウェブリブログ



2013年11月25日 (月) | 編集 |
ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84) ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
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ディオクレティアヌス(284-305)、コンスタンティヌス(306-337)。

ディオクレティアヌスは皇帝就任早々マクシミアヌスを共同皇帝に任命し、帝国西方を担当させる。
西方はライン川・北アフリカの対応、東方はドナウ川・ペルシアの対応と言える。

ローマに限らないだろうが、治安、防衛は重要課題である。
平和が維持できなければ、生産に従事する人が減少する。生産しても奪われるからだ。
また、物流にも支障が出、経済活動が低下する。
経済活動が低下すれば失業者が増大する。

ディオクレティアヌスは、東西両方に、さらに副帝を置き、ローマの防衛を確立しようとした。
4人の皇帝が軍団を持つことでローマの軍事負担は増した。
軍事面での変化としては、主力が歩兵から騎兵に変わった点がある。
蛮族は騎兵で押し寄せるため、これに対抗できる機動性を確保するため、ローマ軍も騎兵を中心に据えざるを得なかった。
そうすると、騎兵は蛮族から調達するしかなく、軍に蛮族を組み入れていった。

ディクレティアヌスは、内政においても十分に機能するように組織を分け、専従させることとした。
しかし、かえって人材の流動性がなくなり、各組織は縦割りとなり、自組織の肥大化を招く結果を招いた。

また、職業の世襲制もしかれた。
これにより、社会全体の人材の流動性が損なわれることとなった。

結果はどうあれ、ディオクレティアヌスはローマの再興のために尽力していた。
そして、彼が帝位に就くまでにあった内乱を避けるべく、引退した。
引退したのちも彼の作った4人の皇帝による統治がうまくいくと思ったのだろうか。
実際には、皇帝たちと、帝位を継げると考えた皇帝の息子たちの権力争いが生じ、結局内乱となった。

内乱を勝ち抜いたのがコンスタンティヌスである。
彼は、現在のイスタンブルであるコンスタンティノープルを建設し、ミラノ勅令でキリスト教を公認した。

ローマはもともと多神教の国である。
キリスト教の神が加わったところで、数ある神が増えるに過ぎない。
しばしば皇帝がユダヤ教・キリスト教に厳しい態度で臨んだのは、彼らがその教義ゆえにローマ人としての義務を果たさなかったことが理由であって、教義の違いによるものではない。
だから、公認するといったこと自体は何らおかしなことではなかった。

ローマの皇帝は、元老院と市民の承認を得て帝位に就く。
帝位の正当性はそこにあった。

コンスタンティヌスは、唯一の神から帝位を与えられたとすれば、それが正当性になると考えた。
その種をまいたのがミラノ勅令である。

こうして、ディオクレティアヌス、コンスタンティヌスによって、ローマはその仕組みを大きく変え、キリスト教が台頭していく。
次巻。





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塩野七生「ローマ人の物語~最後の努力」 - 弁理士の日々
びじうのログローマ人の物語 「最後の努力」 を読んだ
気ままに読書 ローマ人の物語 35,36,37 最後の努力(上)(中)(下)



2013年11月23日 (土) | 編集 |
ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
塩野 七生

ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83)) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84) ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
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211-284まで。

帝政以前は出来事で、帝政以降は皇帝名を書いてきたが、ここでは20人を超える皇帝が現れる。
ものすごく大雑把に言えば、ある皇帝が立っても失政あるいは軍事上の失点があり、別の皇帝が立ち、争う、の繰り返しである。
それぞれの皇帝がどのように現れ、どのように戦ったか、の繰り返しである。
対外的には、ライン川・ドナウ川の向こう側にいる蛮族からのローマの防衛、ユーフラテス川・中東をめぐるパルティア・ササン朝ペルシアとの争いである。

五賢帝時代の後に起こった混乱を収めたのがセプティミウス・セヴェルスであったが、彼の後を継いだカラカラ帝である。
「カラカラ浴場」で知られる皇帝である。
ローマ帝国には市民権を持つ者と持たない者がいた。
市民権を持つ方が有利であったが、カラカラはすべての国民に市民権を与えることとした。
ローマ市民権を持たないのは属州民であり、属州税を徴収していたがこれがなくなった。
そして市民権を持つ者への増税を図ったが当然これに対する反発は強く、すぐに元に戻された。
ローマは少ない軍隊で安全保障をすべく防衛線を築き上げ、そのやりくりのための税制を、国民の反発を招かない税制を維持してきたが、それがここで崩れ始めたのである。
また軍団兵になることで市民権を得るという特典があったが、だれもが市民権を持つならばこれも特典ではなくなった。
ローマ市民である軍団兵は、属州出身者による補助兵と異なり給料も支払われるから、財政にも影響を及ぼした。

アテネの市民権は、アテネ人の血が流れていることが条件であった。
ローマの市民権は、ローマに征服された民族にも付与された。ローマの同化政策といわれる所以である。
ローマにおいては、異分子であっても努力次第で市民権を得ることができるという流動性のある社会であり、これがうまく機能していた。
最初からすべて平等だというから、軋轢が生まれるのであって、努力次第となればそのような妙な軋轢も生まれないで済んでいた。

若いカラカラの浅慮が市民権の性質を一変させてしまった。
塩野先生はここでカエサルの言葉を引用している。
「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」

また、カラカラは各軍団から若い兵を集めた機動部隊を創設する。
この部隊をもって各地の戦線を移動したのだが、そのため各軍団の高齢化が進み、蛮族の侵入を激化させる要因ともなった。

極めつけは、カラカラがパルティアの王女を妻に迎えようとしたことだった。
子が生まれてローマ皇帝を継ごうものなら、母の生家であるパルティアに乗っ取られるおそれがあり、国民の反発を招いた。

数々の失策を重ねたカラカラは暗殺された。

この後はマクリヌスが擁立された。
カラカラの叔母ユリア・メサは孫のヘラガバルスを帝位につけるべく、兵を煽ってマクリヌスを暗殺。
オリエントに傾倒していたヘラガバルスは国民の反発を買い、ユリア・メサはもう一人の孫アレクサンデル・セヴェルスを擁立。
法学者ウルピアヌスの補佐を得、しばらくの平和が訪れる。

その間東方ではパルティアがササン朝ペルシアに滅ぼされる。
ローマとパルティアはユーフラテス周辺で争っていたものの、お互いに蛮族の対応もしていたこともあり、交易でのつながりもあり、ある意味では共生していた。
しかしササン朝ペルシアは小アジアまで支配していたかつてのアケメネス朝ペルシアの再興を目指したため、必然的にローマと和することはなくなった。

ウルピアヌスはアレクサンデルの治世の半ばに、反対派によって暗殺される。
その後もアレクサンデルは政務に努め、ペルシアと戦い、その後はゲルマン民族とも戦った。
蛮族への対応として和平交渉を行ったが、これを弱腰と見た軍の反乱に遭い、陣中で母もろとも暗殺された。
こののちいわゆる“軍人皇帝時代”に突入する。
なお、そもそもローマ皇帝はローマ全軍の総司令官もであるから必ず軍人の側面を持っている。

軍人皇帝時代の皇帝について列記することはしない。
ローマのなすことは、ゲルマン民族の侵入を防ぐこと、ペルシアの侵入を防ぐこと、これによりローマの安全を守ることに尽きる。
代々の皇帝はこれを為すことを求められ、その能力なしとみなされれば暗殺されるか、皇帝を名乗り出た別の人物に取って代わられた。
この繰り返しでしかない。
しかし、そうやって争ううちに人材は減り、政策の継続性も維持されなくなる。
それがローマ弱体化の一因ともなる。

一つの象徴的な事件として、ローマ皇帝ヴァレリアヌスが、ペルシアとの戦闘中、捕えられ奴隷にされるということがあった。
戦死する皇帝はいても、奴隷になる皇帝はおらず、衝撃的な事件だった。
帝位は息子のガリエヌスが継ぐが、ヴァレリアヌス奪還の戦いをする余裕はなかった。

そのガリエヌスが制定した重要な法律がある。
元老院議員は軍の将官にはなれないとしたのである。
従来ローマでは、指導者クラスには政治・軍事の区別なく様々な役職を経験し、広い視野を持つ人材が育つ仕組みを持っていた。
それが崩れてきてはいたが、ここへきて決定的になったのである。
これにより、以降、政治も軍事も分かる人材が出現しなくなったことはローマにとって大きな痛手であった。

また、ヴァレリアヌスが捕らわれたことをきっかけに、ブリタニア・ガリア・ヒスパニアがガリア帝国を興し、シリア・エジプトではパルミア王国が生まれた。
ローマが3分されたのがガリエヌスの時代だった。
このまま滅んでもおかしくないほどの混乱だったが、10年後に皇帝となったアウレリアヌスによって帝国は一つに戻る。

アウレリアヌスはローマに城壁を作る。
カエサルがローマから城壁を除き、その後の皇帝たちによってローマの防衛線はライン川・ドナウ川・ユーフラテス川と確立され、ローマには城壁は不要であったが、もはやそれも許されない時代になったということだった。

しかし、ローマ再興に力を尽くしたアウレリアヌスも暗殺され、その後も同じことの繰り返しが続く。
そして、ペルシア遠征中の皇帝カルスが落雷に遭って死ぬ。
息子のヌメリアヌスが帝位を継ぐが行軍中に変死を遂げ、茫然自失のローマ軍中にて、ディオクレティアヌスが皇帝となる。
彼の登場で軍人皇帝時代は終わりを告げる。
次巻。



メモ。

正当であるのは明らかな実力重視路線だが、人間世界のすべてのことと同じに、利点があれば欠点もある。実力主義とは、昨日まで自分と同格であった者が、今日からは自分に命令する立場に立つ、ということでもある。この現実を直視し納得し受け入れるには相当な思慮が求められるが、そのような合理的な精神を持ち合わせている人は常に少ない。いわゆる「貴種」、生れや育ちが自分とかけ離れている人に対して、下層の人々が説明しようのない経緯を感ずるのは、それが非合理だからである。多くの人にとってより素直に胸に入ってくるのは、合理的な理性よりも非合理的な感性のほうなのだ。
(文庫版34巻157、158ページ)





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塩野七生の『ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉』を再読しました。 - お酒と読書とマンガと美味いモノ
『ローマ人の物語:迷走する帝国』上中下巻 - ytsutomuの(主に)読書日記
『ローマ人の物語 32 迷走する帝国〔上〕』 塩野七生 (新潮文庫) Untidy Bookshelves-ウェブリブログ



2013年11月21日 (木) | 編集 |
ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫)
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マルクス・アウレリウス(161-180)からセプティミウス・セヴェルス(193-211)まで。

五賢帝の最後の一人、哲人皇帝マルクス・アウレリウス。
哲人皇帝と称されながら、彼は常に戦場に在った。

トライアヌスとハドリアヌスの時代に防衛線が強化され、蛮族は侵入することができず、アントニヌス・ピウスの時代は平和に過ぎた。
そのため、アントニヌス・ピウスはその治世の間、マルクス・アウレリウスは皇帝になるまでの間、戦地に赴かなくても済むといった状況であった。
それがかえって、軍事の経験を奪うことにもなったという皮肉である。

ローマは、ライン川、ドナウ川、ユーフラテス川を防衛線とし、専守防衛を方針としていたが、侵入してくるものがあれば戦わざるを得ない。
そして、軍事の最高責任者は皇帝である以上、軍事に関する知見・経験は必須である。

もともとローマのエリートは、民政・軍事の区別なく様々なポジションを経験することで、そのいずれの経験も積んだ人間が執政官となり元老院議員となった。
これが徐々に崩れていくのである。

さて、マルクス・アウレリウスの治世において、不穏な動きは東方から始まった。
パルティアのアルメニア進行であり、ローマの一軍団が壊滅する事態になった。
しかし、トライアヌス・ハドリアヌス治世下の防衛システムは生きており、体制を整えなおしたローマ軍は反撃し、再び防衛線の確立を成し遂げる。

一息ついたマルクス・アウレリウスは、次にドナウ川に移り、ゲルマンの諸民族と事を構える。
なお、のちにゲルマン民族大移動を言われる動きにより、ローマが滅びることになるが、ライン川・ドナウ川をはさんで、ゲルマン民族はずっとローマへの侵入を試み続けていた。
防衛線が確立していたころはその侵入を許さなかったが、時代が下るにつれ、徐々に侵入をゆるし、最後には東ローマを除いてゲルマン民族の国家が乱立するのである。

マルクス・アウレリウスは、自身の軍事経験の無さを自覚し、ベテランを登用して対応していく。
経験はなくとも責任感の強かった哲人皇帝の治世は戦場にいることで過ぎ、終わりを迎える。

前線で斃れたマルクス・アウレリウスの跡を継いだのは息子のコモドゥスである。
世襲によって賢帝の時代は終わった。
しかし、他の賢帝は跡を継がせられる息子がいなかったから有能な者に帝位を託したのであって、息子がいながら他者を後継者とすれば、内乱を招きかねない。
内乱は、人も財産も時間も、あらゆるものを浪費し、しかも取り返せない。

コモドゥスの治世は10年を超えるが書くべきこともない。
政策も人気もなかった彼は暗殺され、武将たちによる内乱が起きる。
マルクス・アウレリウスが避けようとした内乱が、結局は起きる。
ペルティナクス、ディディウス・ユリアヌス、クロディウス・アルビヌス、ペシェンニウス・ニゲル、セプティミウス・セヴェルスが争い、セプティミウス・セヴェルスが最後の勝者になった。

セヴェルスは、軍の強化を図り、軍人の待遇向上に努めた。
従来、軍務を勤め上げた40代から第二の人生が始まったが、その必要がなくなり軍人であり続けることも可能となり、軍が社会から隔絶するきっかけとなった。

何度も書くが、高位高官も含めローマ市民は、シビリアンでもありミリタリーでもある。
そもそもそういった区別もなく、多様な経験を活かしていくといった生き方をしていた。
軍が切り離された結果、多様な視点から物を見る人材が輩出されなくなり、蛮族からのローマの防衛が最重要課題である以上、軍から皇帝が選出されることとなり、さらには元首としての皇帝ではなく、専制君主としての皇帝へと変わっていく。
これはある日突然変わったのではなく、代々の皇帝がローマを守るためと考えて行った政策が積み重なった結果、そうなっていったというものである。

内乱後のローマの立て直しに努めたセヴェルスはブリタニア遠征中に死ぬ。
息子のカラカラが跡を継ぐが、ローマは軍人皇帝時代に突入していく。
次巻。



メモ。

賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という格言があるそうだが、私の考えでは、賢者の側にいたければこの両方ともが不可欠である。「歴史」、書物と言い換えてもよいが、これを学ぶ利点は、自分一人ならば一生かかっても不可能な古今東西の多くの人々の思索と経験までも追体験できるところにある。一方、自身の「経験」は、追体験で得た知識を実際にどう活かすか、または活かせないか、を教えてくれる役に立つ。つまり、机上で学んだことも、実体験とかみ合わせることではじめて活きた知識になるのだ。このような考えに立つならば、正確な情報さえ得られれば適正な対策を立てられると思いこむのは、知識ないし情報の過信であり、対策を講ずるうえでは危険でさえある、と思うようになる。
(文庫版29巻97、98ページ)

情報は、自動的に機械的に集まってくるものではない。収集の段階ですでに、人間の介在は避けようがない。集めて送る人は、それが重要と思うから集め、送るのである。つまり、集め送るときにすでにそれを行う人の問題意識が介在する。だが、それだけでなく、情報を受けそれを活用する段階でもさらに、それを行う人の問題意識が介在せざるをえないという性質をもつ。
(文庫版29巻98ページ)

「ミリタリー」は戦争のプロなので、始めた以上は最後まで行く戦いでないと、もともとからしてはじめないのだ。意外にも「シビリアン」のほうが、戦争のプロでないだけに、世論に押されて戦争をはじめてしまったり、世論の批判に抗しきれずに中途半端で終戦にしてしまう、というようなことをやりがちなのである。
(文庫版30巻150ページ)

周囲に押されて、というのは一見理想的に見えるが、乱世で最も成功率の高いのは、自身で強烈に望んだ場合のほうである。強い意欲の結果であるからには目標の設定も明確で、その目標に達するに必要な手段の選択でも、真剣度がまるでちがってくる。反対に、周囲に押されて、の結果となると、目標も漠然とし手段の選択にも迷いが出てくるという具合で、すべてが中途半端になりやすい。
(文庫版31巻78ページ)

いや、もしかしたら人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、おおかた埋まっていると言ってもよいのかもしれない。
(文庫版31巻108ページ)





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ローマ人の物語 ― 終わりの始まり - Mae向きな日記
「終わりの始まり(上」ローマ人の物語29、塩野七生 なんにしようかな。
ローマ人の物語XI「終わりの始まり」の読みどころ わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる



2013年11月19日 (火) | 編集 |
ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈28〉すべての道はローマに通ず〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫) ローマ人の物語〈30〉終わりの始まり〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈31〉終わりの始まり〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)
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ローマのインフラ-街道、橋、水道、医療、教育-について。

すべての道はローマに通ずと言うけれど、これは逆で、すべての道はローマから発している。
ローマが拡大すると、新しい地域まで道を通す。
直線で一本通すわけではなく、他の街を経由したり等々複数の道を通す。
軍団兵をおいて植民した拠点にも通す。
そうやって出来上がった道、拠点が現在のヨーロッパにそのまま受け継がれている。
橋は街道の延長として作られ、高低差のないように建設される。
上下水道も完備し、公共の水道はタダ、私有地に引き込む場合は有料としている。
インフラの提供は国家の役割とされ、あるいは有力者による提供もなされる。
そしてローマが平和を維持している間はメンテナンスが滞りなく行われていた。

ローマは多民族国家であったが、勝者が敗者を支配するというのではなく、敗者をローマ化し、同化していくという特色があった。
ローマ街道網ができあがることで、帝国内の人・物の流通が活発になり、同化に資するという側面もあった。
民族自決の原則のもと、紛争が絶えなくなった今日とは一線を画す。

ローマのインフラの整備は国家のみが負担するのではなく、地方、私人それぞれが負担した。
公共のために何かをなすことは名誉と考えられており、地位の高いものが私財を投じて建築物や街道等を提供することは名誉と考えられた。
また、彼らの自尊心を満足させるために、それらに彼らの名が冠されることも当然のこととして受け止められていた。

カエサルのときに、医師と教師は一代限りながら市民権を与えられることとなった。
聖職だから、ということではない。
当時にあっては市民権がある方が有利で、医師と教師の数は増えた。
増えるということはそこに競争が働く。自由市場である。
カエサルは、競争原理を入れることで、質の向上と妥当な線での対価の落ち着きを企図したのかもしれない。

文庫版しか見ていないが、カラー写真・地図が多数掲載されていて、見る価値があると思う。

さて、ハード面・ソフト面のインフラを整備し、維持していたが、それも平和であればこそである。
内戦、蛮族の侵入により余裕がなくなったローマはインフラ整備もままならなくなる。
インフラが有効に機能しなくなれば、ますます国力の維持が困難となる。
こうしてローマは下り坂に入っていく。
次巻。



メモ。

「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である」ペリクレス
「貧しき人は幸いなれ」イエス・キリスト
キリスト教の「慈愛」は、近現代になると「人権」にとって代わり、医療もまた「公」中心の担当分野と考えられて現在に至っている。そして教育のほうも、「私」中心主義から「公」中心主義に移行したという点で、医療と似ていたのであった。
(文庫版28巻140ページ)





* * * * *
ローマ人の物語 ― すべての道はローマに通ず - Mae向きな日記
ローマ人の物語X「すべての道はローマに通ず」の読みどころ わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
気ままに読書 ローマ人の物語 27,28 すべての道はローマに通ず(上)(下)



2013年11月17日 (日) | 編集 |
ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
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トライアヌス(98-117)、ハドリアヌス(117-138)、アントニヌス・ピウス(138-161)。

ドミティアヌスの時代にライン河の司令官に任命されたトライアヌスだったが、ドミティアヌスが暗殺され、ネルヴァが帝位に就くと、ネルヴァから養子に迎えられた。
皇帝から養子に迎えられるということは、次の皇帝に指名されるのと同義である。
高齢であったネルヴァが死ぬと、トライアヌスは40代半ばで帝位に就く。

トライアヌスの時代にローマの領土は最大となった、と教科書で学ぶ。
カエサルがローマの防衛線を画して以来、積極的な領土拡張を目指さなかったのがローマだったが、トライアヌスの時代、ドナウ河下流の北岸にてダキア族が勢いを増す。
トライアヌスはこれを叩くことでローマの防衛を確保しようとしたのだった。

トライアヌスとそのあとに続くハドリアヌスは、インフラの整備、防衛線の整備につとめることになる。
ハドリアヌスにいたってはほとんどローマを不在にするということで元老院からは不評だったが、広大な帝国の維持は、地道なチェックと、不備を見つけたならば速やかに補修することによってしかなしえない。
政治はパフォーマンスではないのである。

トライアヌスは晩年に、パルティア・アルメニア遠征も成功させ、「至高の皇帝」(Optimus Princeps)の称号を受け、帰路に死ぬ。

五賢帝の三人目はハドリアヌスである。
トライアヌスと同じ地方の出身であり、トライアヌスが後見人となっていた縁もあった。
縁だけで皇帝になれるわけではないが。

上で述べたが、ハドリアヌスは帝国の防衛線のすべてをまわった。
といって特別戦争をしていたわけではない。
トライアヌスとハドリアヌスの地道な努力によって国の平和は守られていた。

ハドリアヌス治世のほとんど唯一の大規模な戦闘はユダヤの反乱だった。
ユダヤは一神教であるがために、ローマ世界に溶け込むことがなかった。
これを良しとしないハドリアヌスがついにイェルサレムを破壊した。

その後ハドリアヌスは、アントニヌス・ピウスを養子にする。
アントニヌス・ピウスの養子にマルクル・アウレリウスを迎えることを条件として。

アントニヌス・ピウスの治世は、トライアヌスとハドリアヌスの作り上げたものを維持するだけで物事が回った。
無為ということではなく、先帝がつくった枠組みの維持に力を注いではいた。

トライアヌスの時代に最大版図となった大帝国を支えたインフラはどのようなものであったか。
次巻。



メモ。

ローマの人材登用にコネが多いことについて塩野先生は以下のとおり述べている。
現代ではコネというとそれだけで悪感情を持たれるが(自分もそういう目で見がちだが)、当時のコネはノブレスオブリージュを当たり前の感覚としてもっていた上級社会の人間たちによるものであったので、今考えられる弊害は少なかったのかもしれない。

それにしても、帝政時代のプリニウスでも共和政時代のキケロでも、書簡を読むとコネのことばかりという感じで、ローマ社会はコネで動いていたかのような印象をもってしまうが、縁故による人材登用は、システムとしてそれほど悪いものであろうか。
ローマ人はついに、中国の科挙のような制度をつくらなかった。当時の大学としても良いギリシアのアテネや小アジアのロードス島やエジプトのアレクサンドリアで学んだ者が、それだけで帝国の中枢に入れるわけではまったくなかった。エリート養成ないしプールを目的としていた機関は、元老院だけである。だがこの元老院にも、議員を父にもてば自動的に入れるというわけではない。会計検査官か護民官に当選し、その任期を勤めあげることが条件になっていた。皇帝には推挙の権利があったので、軍団たたきあげにも道は開かれていたのである。
子のローマ人が人材登用にコネを重要視したのは、彼らの現実主義的性向のあらわれの一つであったとさえ思う。コネとは、責任をもってある人物を推薦することだ。人格才能ともに優れた人が推薦するならば、人格も才能も優れた人が推薦される可能性も高くなる。もちろん、この場合でも常にリスクはあった。しかし、客観的な試験ならば、無能や悪質な行政官を産むリスクは回避できるであろうか。
ユリウス・カエサルは、キケロが推薦してくる若者ならば誰でも自分の部下にしてしまったが、それはキケロの識見を買ったからである。トライアヌスも、プリニウスの依頼をほとんど満足させてやるが、これもまたプリニウスの誠実さと公共心の高さを認めたがゆえであった。人材登用は勝負である。この勝負の参加者には、登用者と登用される者の二人だけではなく推薦者も加えるというのが、つまり参加者全員に責任をもたせるというのが、ローマ人が縁故採用を多用した理由ではなかったかと思う。
(文庫版24巻249、250ページ)


君主ないしリーダーのモラルと、個人のモラルはちがうのである。一私人ならば、誠実、正直、実直、精練は、立派に徳でありえる。だが、公人となると、しかも公人のうちでも最高責任者となると、これらの徳を守りきれるとはかぎらない。ラテン語では同じく「ヴィルトゥス」(virtus)だが、私人ならば「徳」と訳せても、公人となると「器量」と訳したのでは充分でない場合が少なくなく、しばしば「力量」と訳さざるをえなくなるのである。
(文庫版25巻65ページ)

政治は非情なものなのだ。そのことを直視しないかぎり、万人の幸せを目標にすえた政治はできない。そして、政治を行うには必要不可欠である権力も、それを行使するには権力基盤が堅固であることが先決する。権力の基盤が確立していないと、権力の行使も一貫して行えないからである。
(文庫版25巻68,69ページ)

自らの考えを実現するという幸運に恵まれた人と、それによる成果を享受する人とは、別であって当然ではないだろうか。とくにそれが、公共の利益を目的としたものであればなおのこと。
(文庫版25巻128ページ)

ローマ人は、思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、情況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする。ローマ人は、計画なしの性向は調査の重要性を忘れさせる危険があるが、調査を完璧にした後での失敗は、再び失敗を繰り返さないための有効な訓練になると考えているのである。それに、幸運による成功は誰の功績でもないが、情況調査を完璧にしたうえでの失敗であれば、少なくとも対策ならば充分に講じたという慰めは得られるのだから。
(文庫版26巻43ページ)

ギリシア人の歴史とローマ人の歴史を分ける最も明らかなちがいは、前者は、都市国家(ポリス)間の抗争の歴史であり、後者は、権力抗争はあっても都市間や部族間の抗争はなかった、という一事であろう。
(文庫版26巻179ページ)



余談。
「テルマエ・ロマエ」に出てくるのがハドリアヌスである。
映画版では戦争ばかりしているといった描写があったと思うが、積極的に戦争をしていたのはトライアヌスの方だろう。
ハドリアヌスは防衛線の確認・補強が主である。
ついでに、もう一つ。
ローマ史上、皇帝の暗殺は多々例があるが、意外にも裸になる浴場での暗殺はないという。





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「賢帝の世紀(上」ローマ人の物語24、塩野七生 なんにしようかな。
『ローマ人の物語 24~26・賢帝の世紀』 - 塩野七生 著 風の歌を聴け
ローマ人の物語IX「賢帝の世紀」の読みどころ わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる



2013年11月15日 (金) | 編集 |
ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)
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ガルバ(68-69)、オトー(69)、ヴィテリウス(69)、ヴェスパシアヌス(69-79)、ティトゥス(79-81)、ドミティアヌス(81-96)、ネルヴァ(96-98)。

ネロが死んで、ユリウス・クラウディウス朝の血統は絶えた。
各地の総督が相次いで皇帝就任を宣言し、元老院はこれを追認することしかできない。
その間も、ユダヤの反乱、ガリア帝国の建国など混乱が続く。
それが、ガルバ、オトー、ヴィテリウスが皇帝となった約2年間の出来事である。
彼らは、トップとしての決断も実行もなく、何かするにしても配慮に欠けた行動をとり、まったく皇帝の任に堪えうる人物ではなかった。

この混乱を収めるのがヴェスパシアヌスだが、彼は東方にいた。
東方にいてこの混乱を見ていたが、ムキアヌスという良き協力者と、誠実な息子ティトゥスを従え、皇帝に名乗りを上げる。
ムキアヌスは名門の出身でもあることから、軍団の支持も得ていたが、彼は自分ではなくたたき上げのヴェスパシアヌスの方が適任であると考え、その補佐に徹する。
カエサル、アウグストゥス、ティベリウスが作り上げた帝国を、一級の実務家であるヴェスパシアヌスとムキアヌスで再建していくということであった。

ムキアヌスがイタリアに向かい、ティトゥスはユダヤの反乱対応。
ヴェスパシアヌスはどちらにも行けるエジプトに構える。
ムキアヌスは、ヴィテリウスをやぶり、ガリアの反乱を収める。
ユダヤの反乱についても、ティトゥスが処理。
ローマは多神教でもあり、死後の皇帝を神格化したりと、神がたくさんいることについて違和感を持たなかったが、一神教であるユダヤ教はそういうわけにはいかない。
彼らは彼らの教えの中で生きねばならない。
ローマの統治と相容れず、耐えられないと考えたときに反乱が起きる。
しかし、それはローマが非寛容ということになるかというと、そうは思わない。
ローマは、ローマの統治の枠組みの中でならば、信仰が何であれ構わなかったからである。

ユダヤの反乱の鎮圧を見届けてヴェスパシアヌスはローマに入り、ムキアヌス、ティトゥスらとともに、帝国の再建を行っていく。
ところで、財源確保のために、公衆便所に溜まる小便を集めてきて、羊毛に含まれる油分を抜くのに使う繊維業者に課された税があるという。

ヴェスパシアヌスのあとは息子のティトゥスが順当に跡を継ぐ。
彼の治世は2年と短いが、この間にヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイの街が埋まった。
またイタリアを疫病が襲うという事態も重なり、彼の治世はこれらの対応におわれるものであった。
そして、心労によるものか、2年で倒れてしまう。

ティトゥスの死後は、弟のドミティアヌスが帝位に就く。
彼は、若いうちに父・兄が帝位に就き、自らは前線の軍務経験をすることもなく帝位に就いてしまった。
今までの皇帝も、実際の経験の有無が、物事を見る目の確かさ、あるいはその逆となって現れており、彼もまたそこから脱することはできなかった。
しかし、ライン川・ドナウ川防衛線については確かな対応をしており、「リメス・ゲルマニクス」という防壁を建設した。

治世の半ばに、ライン軍団が反乱を起こすが、スペインにいたトライアヌスにこれを鎮圧させる。なお、トライアヌスはこれがきっかけで後の皇帝への道を拓くことになる。
反乱の首謀者とこれに連なるものは処刑されている。
また、ドナウ川の向こうのダキアとの戦いで和平協定を結んだが、金で解決したと見られたところが、ローマ人の不評を買った。
さらに反対派の元老院議員の処刑なども行い、ドミティアヌスに対する不満が高まっていく。
こののちドミティアヌスは暗殺される。
不満を募らせた元老院議員にではない。
家庭内のもめごとが原因で暗殺されたのだった。
渡りに船とばかりに元老院はネルヴァを引っ張り出して帝位に就け、ドミティアヌスを「記録抹殺刑」に処す。

ネルヴァはいわゆる五賢帝の最初の皇帝である。
しかし帝位に就いたのは70歳である。
元老院にとって害のある人物ではなかったから引っ張り出されたようである。
ネルヴァはトライアヌスを後継に指名し、寿命を迎えた。
何をもって「賢帝」とするのかやや疑問のあるところではある。
とはいえ、兎にも角にも賢帝の時代は始まった。
次巻。



メモ。

人間には、自らが生きた時代の危機を、他のどの時代の危機よりも厳しいと感じてしまう性向がある。
(文庫版21巻19ページ)

平凡な資質の持ち主は、本能的に、自分よりも優れた資質の持ち主を避ける。自分にない才能や資質を迎え入れることで、自分自身の立場を強化するなどという思考は、平凡な出来の人には無縁なのだ。とはいえこれをできたら、もはや平凡ではなくなるのだが。
(文庫版21巻60ページ)

玉砕は、後世を感動させることはできても、所詮は自己満足にすぎない。
(文庫版22巻124ページ)

戦争状態が長びけば長引びくほど、敵側にも味方の側にも憎悪の感情が増幅しないではすまない。反対に、短期間に解決すればそれが避けられる。そして戦後の処理や対策も、怨念に邪魔されることなく理性的に行えるのだった。
ローマの武将たちの多くに共通する特色は、武人らしい見栄、ないしは虚栄心に無縁であった点である。彼らは、少数の敵を多数で攻めることに何のためらいもなかった。多勢で攻めるのは、解決を早めるとともに敵味方双方の犠牲を少なくするためでもあったからである。
・・(中略)・・
精神力のような非確定要素は最後にくるのだ。第二次大戦当時の日本軍では、この非確定要素が第一位に来た。敗れたのは当然の帰結である。
(文庫版22巻153ページ)

社会の構成員ならば全員平等、とするとかえって、外部の人々を疎外するようになるのである。新たに入ってきた人に対し、すぐにも既存の人同様の権利を認めるわけにはいかないからである。認めようものなら、既存の人々からの反撥が起こる。現代でも問題になっている人種差別感情が意外にも社会の低層に強い現象を思い起こすだけで、この問題の深刻さは理解できよう。それが古代のローマのように、社会の階級別を認め、ただし階級間の流動性を認めるならば、外部の人々の流入を拒絶する理由はなくなる。まずは下層に入ってもらい、その後の上昇はその人しだい、というわけだ。一方、はじめから実力を示せる人に対しては、その実力にふさわしい階級への参入をただちに認める。民主政を守るために全員平等を貫くしかなかったギリシアの都市国家アテネが、意外にも、他のポリス出身者や奴隷に対して閉鎖社会であったという史実。そして、共和政時代には元老院主導という形での寡頭政、帝政時代に入ると君主政に変わるローマのほうが、格段に開放社会であったという史実は、現代でもなお一考に値すると確信する。古代のローマは、あの時代の限界が許す限りという条件つきにしろ、機会均等を実現した社会なのであった。
(文庫版22巻191、192ページ)

歴史家ギボンは、ローマがなぜ滅亡したのかと問うよりも、ローマがなぜあれほど長く存続できたのかを問うべきである、と言った。多民族、多宗教、多文化という、国家としてはまとまりにくい帝国であったにかかわらず、なぜあれほども長命を保てたのか、ということのほうを問題にすべきだ、という意味である。だが、それに対する答えならば簡単だ。ローマ人が他民族を支配するのではなく、他民族までローマ人にしてしまったからである。大英帝国の衰退は各植民地の独立によるが、ローマ帝国では、各属州の独立ないし離反は、最後の最後まで起こっていない。
(文庫版23巻69ページ)





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読書日記478:ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 by塩野 七生 書評:まねき猫の読書日記
「危機と克服(中」ローマ人の物語22、塩野七生 なんにしようかな。
『ローマ人の物語 21 危機と克服〔上〕』 塩野七生 (新潮文庫) Untidy Bookshelves-ウェブリブログ



2013年11月13日 (水) | 編集 |
ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)
ローマ人の物語〈18〉悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫) ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫) ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫) ローマ人の物語〈16〉パクス・ロマーナ(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)
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ティベリウス(AD14-37)、カリグラ(37-41)、クラウディウス(41-54)、ネロ(54-68)。

アウグストゥスはカエサルから後継者として指名されたことで、第一人者としての“正統性”を持っていた。
アウグストゥスは、帝政を継続するために、後継者の血統にこだわった。
自分の血統であることを“正統性”にしようとした。
ティベリウスは、名門クラウディウス家の出自であるが、そのような“正統性”がなかった。
そのため彼もまた第一人者の地位にあることに慎重であった。
カエサル、アウグストゥスが築いた帝政を根付かせることが彼の役割であり、アウグストゥス同様忍耐の求められるものだった。
市民・元老院を刺激してはとても為し得ない。

アウグストゥスの40年の治世で作られた基盤を、メンテナンスしながら継続していくという地味な役回りを持ったティベリウスだったが、彼はその任に適していた。
政治とはパフォーマンスではない。
平和は不断の努力なくして成り立たない。
インフラも、システムも、国防も、すべてに目を配り、修復すべき点は速やかに修復することの連続である。
生じた問題を解決するのではなく、問題が生じないようにするのである。
問題が生じないから功績の有無さえ目に見えないのである。

そのようなことを黙々とこなしたティベリウスだったが、人気を取ることに気を払わなかった性格から、後年は隠遁して統治を行うようになる。
元老院からは非難の的となるが意に介さない。
ギリシアのペリクレスも、アウグストゥスも、偽善を行えた人であった。
それぞれ民主政・共和政を唱えながら、実態は独裁であった。
話を戻す。
ティベリウスがローマを離れて統治を行えたのは、それだけ平和であったということだ。
平和を維持するだけの仕組みが機能していたということだ。

なお、国防の点では、ライン川・ドナウ川・ユーフラテス川で線を引いていく。
ここで活躍していたのがゲルマニクスであり、彼はアウグストゥスの血縁であった。
ティベリウスの後継はゲルマニクスというのが衆目の一致するところだが彼は若くして死に、彼の子のカリグラがティベリウスの跡を継ぐことになる。
カリガとはローマの軍靴だが、ライン川防衛線の軍団内で幼児期を過ごした彼は小さな軍靴という意味のカリグラがそのまま愛称となった。
若くして皇帝となり、、、若いことは罪ではないが、治世の経験がなかったこともあり、アウグストゥス・ティベリウスのような忍耐もなかった。
ティベリウスが市民に人気がなかったことだけは見ていたために、ティベリウスが行わなかった娯楽スポーツを大盤振る舞いし、次第に財政が行き詰っていく。
外政面でもアルメニア・マウリタニアの動向が危ぶまれるなど失策を重ねる。

帝政になってからは、唯一の権力者が変わるのはその死を待つしかない。
カリグラを“育てた”ライン軍団の指揮官たちがカリグラを暗殺した。
自分の子の不始末のけりをつける、とでもいうように。

カリグラが暗殺されるとクラウディウスが引っ張り出されて皇帝となる。
カリグラの叔父にあたるが、体が弱いこともあり、誰も皇帝になるとは思っていなかった人物である。
本人も自覚があったのだろう、歴史の研究に生涯を費やしていた。
それが高齢になって突然国のトップに立つことになった。
しかし歴史を研究していただけに彼は自分の役割を認識し、カリグラが荒らした統治システム・財政を回復させることに力を注ぐ。
またこの頃は、ティベリウスが選任した人材たちが健在であり、彼らを活用すれば良いという利点もあった。
統治にまじめに取り組んだクラウディウスだったが皇妃となったアグリッピーナに暗殺される。
アグリッピーナが前夫との子ネロを帝位にすえるため、毒殺したのであった。

カリグラは20代で皇帝になったが、ネロは二十歳前で皇帝になった。
国防の面ではあいかわらずパルティア含む東方が重要であったが、コルブロや、のちに皇帝となるヴェスパシアヌスがいたために、大過なく処理はしていた。
彼はギリシア文化に傾倒し、ローマ市民の失笑を買う。
治世の後半にはコルブロをはじめ前線の指揮官を、確たる証拠もなくネロ暗殺の容疑で処刑する。

まず決起したのはガリアであった。
しかしガリアのローマからの独立ではなく、ローマ市民としての決起であったことが興味深い。
ガリアは紛れもなくローマの一部と化していた。
属州の総督も反ネロに立ち、元老院からも「国家の敵」との宣告を受け、近衛軍団も頼ることができずネロは逃亡するが、逃げ切れないと悟り自死する。

ネロの死により、アウグストゥスから始まるユリウス・クラウディウス朝は断絶する。
しかし、元老院は共和制には戻ろうとせず、新たな皇帝を擁する決定をする。
属州総督のガルバがそれであった。
次巻。



メモ。

外交による解決と聴くと、現代人は、その中でもとくに日本人は、平和裡に話し合った末での解決と思ってしまう。だが、軍事力を使って脅した後で握手する、というのも外交である。いや、それこそが最も有効な外交であることは、歴史が証明してくれている。なぜなら人間とは、理で眼を覚ます場合は少ないのに、武力を突きつけられれば眼を覚ますものだからだ。
(文庫版17巻130ページ)





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読書日記438:ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) by塩野七生 書評:まねき猫の読書日記
「悪名高き皇帝たち(2」ローマ人の物語18、塩野七生 なんにしようかな。
気ままに読書 ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち(一)(二)(三)(四)



2013年11月11日 (月) | 編集 |
ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
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アウグストゥスの統治の始まり(BC29)からその死(AD14)まで。

アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを破り、オクタヴィアヌスはローマ唯一の権力者となる。
第二回三頭政治の残る一人レピドゥスはオクタヴィアヌスとの政争に負け、隠棲したらしい。

アウグストゥスと呼ばれることになるのでここからはこれで通す。
アウグストゥスが権力者となったとき、彼はまだ34歳であった。
彼はカエサルの暗殺を見ており、自身の余生は長いことから、帝政への移行を焦らなかった。
自身はローマの第一人者であるとして、元老院とともに、共和政のもとローマを統治していく・・・ふりをした。
彼は、政策への拒否権、身体の不可侵等の護民官特権を持ち、軍の総司令官でもあり、、、といった具合に、個々の権利自体は合法的に、しかしすべて総合すると名実ともに絶対的な権力者となっていった。
それを長い統治期間をかけて、ローマ市民・元老院たちに慣れさせていった。

権力を固めていきながら彼が行ったのは、カエサルの改革・暗殺、内戦を経て混乱した統治体制・属州の整備である。
カエサルはほとんどすべてを一人で行っていた感がするが、アウグストゥスにはアグリッパとマエケナスという同年代の協力者がいた。
軍事・公共事業の面ではアグリッパが、外交・文化・広報の面ではマエケナスが、それぞれアウグストゥスを補佐した。
なお、現代の“メセナ”の語源がマエケナスである。

アウグストゥスの政策の一つに少子化対策があったことは興味深い。
安定したローマにおいて、ローマ市民は独身生活に困ることがなかったという。
そこでアウグストゥスは、独身者と既婚者の間に差を設け、独身であると、社会的・経済的に不利になる法案を通した。
現代であればこのような法案は大バッシングを受け廃案になりそうなものだ。
塩野先生曰く、「神の前に誓った関係を解消するなど論外というキリスト教に対して、禁じはしないが決行した場合の不利益は甘受しなければならないというローマ人の考え方は興味深い」
なお、キリスト教がヨーロッパで広まるのはもっと後のことである。
ローマもギリシアも多神教であり、ユダヤ教やキリスト教のような一神教ではない。
日本も八百万の神という言葉があるように一神教のような思想は持っておらず、元来、古代ローマの方が親和性が強いだろう。

ローマの兵士は志願制に変わったが、質は落ちていない。
それは国家の要職を目指すには軍務経験が必須だったからである。
現代では文民統治が当然のようになっているが、古代ローマにおいては、国を率いる者は、物理的に外敵から国を守る必要もあり、必然的に軍事に携わらざるを得なかった。
「戦争=悪」という単純な考え方では理解できないだろう。
また、有能な指揮官でなければ軍に損害が生じる。
損害とはすなわち兵の死である。
無能な人間に率いられる組織は無用な犠牲を強いられる。
これは軍でなく、政治組織でも同様であろう。
組織の運営能力は、軍事・内政問わず、重要な能力である。



アウグストゥスは、共和政の振りをしながら帝政を固めていくという常人にはできないことをやってのけた。
相当な忍耐の持ち主だったと思われる。
帝国の平和は不断の努力からしか成り立たない。
想像もつかないほど気疲れしそうだが彼は長寿であった。
アグリッパやマエケナス亡き後も独りで黙々と統治を続けていた。
カエサルは、後継者としてアウグストゥスを指名したが、アウグストゥスは血にこだわったようである。
自分の後継者は自分の血を引くか一門から、と考えていたようである。
しかし、これは彼の努力だけではいかんともしがたく、年齢・能力共に十分なのは妻の連れ子のティベリウスであった。
ティベリウス自身、アウグストゥスの望みを知りつつ、血にこだわっていては後継者がおらず、自分がやるしかないということは分かっていたかもしれない。
AD14、77歳のアウグストスが死に、ティベリウスが跡を継ぐ。
次巻。



メモ。

平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰をすえることではないと思う。両極の間の行き来をくり返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか。
自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。だが、この二つは両立していないと困るのだ。自由がないところに進歩はなく、秩序が守られていないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。
(文庫版15巻31、32ページ)





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「パクス・ロマーナ(上」ローマ人の物語14、塩野七生 なんにしようかな。
読書日記410:ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) by塩野七生 書評:まねき猫の読書日記
2014.04.06 ローマ人の物語Ⅵ ”パックスロマーナ” - JOHNNYのLP日記・読書編 - Yahoo!ブログ



2013年11月09日 (土) | 編集 |
ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上) (新潮文庫)
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カエサルがルビコンをわたった後(BC49)からアクティウムの海戦後(BC30)まで。

ローマには常駐の軍がない。
軍勢を率いてルビコンをわたったカエサルに対し、ポンペイウスや反カエサルの元老院議員らは逃げるしかなかった。
ポンペイウスはアドリア海を渡り東方へ脱出する。
イタリア半島内でポンペイウスに追いつけなかったカエサルは、一度西へ目を向ける。
ガリアは自分の勢力下だが、スペインと北アフリカがある。
ローマ帝国の東方はすべてポンペイウスの地盤と言って良い。
東方のポンペイウスと対決するには後顧の憂いをなくす必要があった。

ところで、古代のギリシアもローマも、軍務は市民の義務であった。
資産を持つ市民が、直接税の代わりに共同体に対して果たす義務であった。
奴隷には兵役は課されない。
マリウスが軍役を志願制に変えたが、ローマ市民権所有者のみが資格を持っていた。

北アフリカ戦線では配下のクリオが戦死したものの、カエサルはアドリア海をわたる。
ギリシアへ渡ったカエサルは苦戦を強いられドゥラキウムで撤退を余儀なくされる。
この時のあまりの撤退ぶりからポンペイウスはカエサルの策略を疑い追撃しなかったという。
このため九死に一生を得たカエサルは軍勢を整え、改めてファルサルスにてポンペイウスと決戦し、勝利する。

ドゥラキムでの敗戦時、カエサルは兵たちを叱った。
通常、敗戦の責任は指揮官に属し、兵を責めるものではないだろう。
塩野先生曰く、
---人間は、気落ちしているときにお前の責任ではないと言われると、ついほっとして、そうなんだ、おれの責任ではなかったのだ、と思ってしまうものである。こう思ってしまうと、再起に必要なエネルギーを自己生産することが困難になる。ついつい、指導者の判断待ちという、消極性に溺れこんでしまうものだ。カエサルは、これを避けたかったのだと思う。責任はお前たちにある、と明言することで、兵士たちが自分自身で再起するよう指導したのだと思う。---
これはカエサルだからできたことだろうと思う。
カエサルほどの実績あればこそ。
さほどでもない人物が単に真似事をすればかえって兵の反発を招き士気の低下を招かないかと。

ポンペイウスはエジプトに逃れるが、暗殺された。
エジプトはローマと関わりあいたくなく、亡命してきた過去の英雄ほど困った存在はなく、手に余る存在だったからだという。
これを受けたカエサルはエジプトに入国、内紛を調停したのち、帰国する。
なお、このときクレオパトラに出会っている。
カエサルは、ポンペイウスを生きて捕らえた場合どう処するつもりだったのだろう。
一方を脅かすほどの能力を持っていたり、担がれる因縁があったりするような人物の扱いほど難しいものはないように思う。
共に歩むことができればよいがそれも難しく、内乱のもととなりかねず結局その存在を消すしかない。
人間にとってはそれは死しかない。

カエサルは、ポンペイウス派の残党への対応と、いよいよ唯一の権力者となって国政改革に手を付ける。
国政について一つ一つ述べるのは大変だし、面白味がない、というか面白く書けないので大幅に割愛する。
戦って勝った負けたという話は分かりやすいのだが、内政の話はなかなか書きづらい・・・。

ローマはもはやイタリア半島のみを統治するのではなく、スペイン、ガリア、イタリア半島、アドリア海沿岸、バルカン半島、小アジア、エジプト、北アフリカと地中海を丸ごと内包する領域を持つに至っている。
これを統治するためには元老院中心の寡頭政では機能しないと判断し、独裁官に就任する。
属州の再編も行い、増えた属州の総督を務める資格を持つ者を増やすために法務官(プラエトル)らを増員。
経済の活性化のために通貨改革、金融改革を行う。
元老院、騎士階級だけでなく、解放奴隷も登用する。
この時代の奴隷は、単純労働として使役される存在ではないことは以前述べたとおりである。
首都の再開発も行い、街道・上下水道の整備を行う。

そしてカエサルはパルティア遠征を計画する。
カエサルのローマ防衛線構想は北はライン川、東はユーフラテス川だったので、クラッスス親子が戦死したカルラエの戦い以来のパルティア問題の処理は必須であった。

しかし、これは実現せずに終わる。
BC44年、元老院派、のみならずカエサル配下の者たちにより、カエサルが暗殺された。
カエサルが王位を狙っている、というのが表向きの理由だった。

スッラは、敵をすべて粛清したことで安全を得た。
カエサルは、戦闘以外で殺しはしなかった。
しかし、生き延びた人々は、命を助けられ、取り立てられ、後ろめたさを感じる。
後ろめたさの向かう先がカエサルの暗殺となった。
カエサルの暗殺についてイタリアの教科書にはこう書いてある。
「懐古主義者たちの自己陶酔がもたらした、無益どころか有害でしかなかった悲劇」

カエサルを暗殺した人々は、その後のローマの運営を全く考えていなかった。
殺した後も右往左往していただけである。
この頃、カエサル派の有力者としてはアントニウスがいた。
しかしカエサルの遺言状には誰も知らないオクタヴィアヌスが後継者として記されていた。
このときオクタヴィアヌスは18歳。
アントニウスは自分こそカエサルの後継者たらんとして暗殺者たちを滅ぼしていく。
オクタヴィアヌスは若くして忍耐と偽善を知っていて、世論を味方にしつつアントニウスとともに暗殺者を滅ぼす。
アントニウスは若造ならとるに足らずと思っていたのかもしれないが、オクタヴィアヌスの力を無視できなくなり、バランスをとるために誘い込まれたレピドゥスを含めた第二次三頭政治が成立する。
これは、絶大な力を持っていたポンペイウス、まだ正面切っての対決に踏み切れなかったカエサル、バランスをとるために誘われたクラッススの第一次三頭政治と全く同じ構図である。
アントニウスは自分がポンペイウスの立場にあることを気付かなかったのか。
あるいは気付いていても、ポンペイウスを滅ぼしたカエサル側にいたことからの余裕あるいは慢心があったのか。

エジプトではカエサルを失ったクレオパトラがアントニウスに近づき、東方での勢力を拡大しようとしていた。
このことは、ローマはローマ市民のものであり、東方のものではないと考えるローマ市民の反発を招き、アントニウスの勢力を減退させることとなった。
カエサルの死から10数年、自重し、勢力拡大に努めたオクタヴィアヌスはついにアントニウスをアクティウムの海戦で破り、ローマの第一人者となる。

ガリア遠征時のカエサルの副官はラビエヌスで、カエサルが最も信頼を置いたとされる。
しかし彼はポンペイウスのクリエンテスであったため、カエサルがルビコンをわたる際に、ポンペイウス側へ奔った。
後に、カエサルと戦い、敗死。
カエサル配下は他にはブルータス、クリオ、アントニウスといった面々が並ぶ。
ブルータスは後にカエサル暗殺に加わるも、カエサルの後継者たちに破れ、敗死。
クリオは北アフリカで戦死。
アントニウスは反カエサル派を破るも、オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)にアクティウムの海戦で破れたのち、自死。
そうして最後に残ったのは、カエサルが見込んだオクタヴィアヌスただ一人となった。

こうしてローマは共和政から帝政へと移行していく。
次巻。



メモ。

人間にとっては、ゼロから起ちあがる場合よりも、それまでは見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほどの難事業になる。後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫られるからである。自己改革ほど、とくに自らの能力に自信をもつのに慣れてきた人々の自己改革ほど、むずかしいことはない。だが、これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。
(文庫版12巻109ページ)

孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。それを嘆いていたのでは、創造という作業は遂行できない。
(文庫版12巻115ページ)

カエサルの発言
「どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は善意によるものであった」
(文庫版13巻39ページ)





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2013年11月07日 (木) | 編集 |
ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)
塩野 七生

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カエサル誕生(BC100)からルビコンをわたる(BC49)まで。

文庫版は全43巻あるが、そのうち第8巻から第11巻までの6巻がカエサル。
一人の人物を追って6巻。
もちろん周囲の人物もあわせて描かれるわけだが、それでも6巻も。

前半は生まれてから、ガリア遠征を終えてルビコンをわたるまでの3巻。
後半はルビコンをわたって、ポンペイウスとの対決、ローマの体制の改革と、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスがアントニウスとクレオパトラを破るまでの3巻。


カエサルはマリウスの縁戚だったこともあり、スラによる粛清の対象だったが、逃亡して生き延びた。
カエサルの幼年期のところでこのような記述がある。
「・・・母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。幼児に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。」
(文庫版8巻40ページ)
確かにガリア遠征の時もポンペイウスとの対決の時も、危機一髪だったり、戦力的に厳しそうだったのに、カエサルはよく切り抜けられたなと思うことがしばしば。

カエサルの成長について述べる過程で、ローマの貴族の家庭がどのようなものだったか、ローマの住宅状況がどのようなものだったかなどもあわせて触れられていて興味深い。

スラの死後、ローマ本国が落ち着いて帰国し、公職に就くころまでにはポンペイウスは遥か彼方、絶対的な権力を持つに至っていた。
後に、カエサル、ポンペイウスと並び三頭政治の一頭となるクラッススも経済界の大物として存在している。
しかし、彼らに遅れたにせよ、キャリアを積み重ねていき、執政官(コンスル)へ立候補する。
このとき、コンスルの当選を確実にしたいカエサル、オリエントの地盤を固めたいポンペイウス、当時のカエサルとポンペイウスではつり合いが取れないといった事情も含め誘われた経済界の重鎮としてのクラッススの3人の密約による三頭政治がひそかに成立。
カエサルはコンスルに当選し、他の2者への便宜をはかる。

コンスルとなったカエサルは国政の改革を進めるとともに、ローマの防衛線を確立するためにガリア(主として現在のフランス)遠征を開始する。

カエサルの国政改革は、国土が広くなり、任期1年のコンスルおよび元老院による統治では対応しきれなくなったことへの対応が主目的であり、のちに自ら終身独裁官に就任している。
イタリア半島だけであればまだしも、ポエニ戦争を経て、地中海の覇権国となり、ギリシアから小アジアに至るまで勢力を広げたため、遠征に行っても1年では結果を出せるわけもなく、元老院での意思決定のスピード感では遠隔地の事象に対応もできない。
もう一つは農地改革であり、これはグラックス兄弟以来の懸案事項。
国有地の適正な再配分を目指すものであるが、既得権益を持つ者から忌み嫌われ、流血沙汰を起こす事項。
これを弁論と、三頭による力で実施させた。

元老院の力を削ぐために、公職にある者は一定額(1万セステルティウス)以上の贈物を受けてはならないと定めた。
一切受け取ってはならないとしたわけではないことについて、塩野先生いわく、少額といえどもあらゆる贈物は受けてはならない、では、人間の本性に無知であることの証明でしかないではないか、と。


ローマの防衛線としては、カエサルは、北はライン川、東はユーフラテス川を考えていた。
東はポンペイウスの地盤であり、イタリア半島からは遠く差し迫った危機もないことともあり、カエサルはガリア総督として北を目指す。
ガリアにはガリア人が、ライン川の向こうにはゲルマン人がいる。
イタリアとガリアの間はアルプスしかない。
ゲルマン人は、西へ南へと迫り、押し出されたガリアが人イタリアに侵入するのである。
ガリアのゲルマン化を防ぎ、ローマ化することで、ライン防衛線を確立しようというのがカエサルの意図したことだった。

ドーヴァー海峡をわたって、現イギリスも訪れている。
後にチャーチルが、イギリスはカエサル遠征に始まったが、ドイツは未開の地であったと言う論拠がここにある。

ガリアに行って複数のガリア民族とゲルマン民族と戦っている間、ローマ本国での政治もおろそかにできないわけだが、手足となる人材を探しこれもやってのける。
一方で緊急時にはどこへでも真っ先に駆けつけて処理することもした。

三頭政治の一角であるクラッススは、軍事的功績がないことを気にしており、ローマの東にあるパルティア王国へと遠征する。
クラッススの子はカエサルのもとで優秀な指揮官へと成長していたが、彼を呼び寄せもしていた。
しかし、指揮官たるクラッススが軍事慣れしていないことに加え、パルティアの指揮官がスレナスという極めて有能な人物に率いられたこともあって、ローマ軍は完敗。
これがカルラエの戦いである。
クラッスス親子は戦死し、三頭の一角が崩れたことになる。
ローマは残る二頭、と言っても、カエサル対元老院・ポンペイウスとう構図だが、これがためにパルティア問題はしばし放置することとなる。

カエサルは、8年でガリア遠征を終わらせ、「ガリア戦記」を刊行し、イタリアに帰国する。
本国には軍を率いていてはいけないという決まりがあるが、元老院から敵視されているカエサルにとって軍を率いず丸腰での入国は危険極まりないことであった。
元老院はポンペイウスを担いで対決姿勢を強めていく。

カエサルはマリウスとスラの内戦を体験している。
自身、粛清されそうになり逃亡生活を余儀なくされている。
法に従わず軍を率いて入国すれば内戦は避けられないことも認識している。
そこに大いなる逡巡があった。
悩んだ男の決断であった。

---ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅。
進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた---

次巻。



メモ。

イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書
「指導者に求められる資質は、次の五つである。
 知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意思。
 カエサルだけが、このすべてを持っていた」
(文庫版8巻冒頭)

ユリウス・カエサル
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
(文庫版8巻冒頭)

ギリシアとローマの違いについて
アテネもスパルタも階級闘争があった場合、勝者が敗者を従属させることしかなかった。
ローマは、争っても結局は共存共栄に向かう。これが、ローマ人に帝国創立とその長期の維持を許した要因ではないか。
(文庫版8巻51ページ要約)

戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。生きるためにやるものだと思っている間は、組織の健全性も維持される。その最もはっきりした形が、一兵卒にもわかるようにはっきりした形が、食糧の確保だった。カエサルは、その重要性を生涯忘れていない。
(文庫版9巻91ページ)

われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行きとどかない怖れがある。可能なかぎり少ない犠牲で可能なかぎり大きな成果を得ることを考えて、軍隊は厚生され機能されねばならない。そのためにはまず、指揮系統が明解である必要がある。そして、確立した指揮系統から伝達される指令は、中隊、大隊、軍団がそれぞれ秩序正しくまとまっていてこそ、すみずみにまで十分に伝わるのだ。
(文庫版10巻108ページ)





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2013年11月05日 (火) | 編集 |
ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)
塩野 七生

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グラックス兄弟の改革、マリウス、スラ、ポンペイウスが活躍した時代まで(BC133頃~BC63頃)。

ポエニ戦争を経て、ローマはイタリア半島にとどまらない大国となり、また、貧富の差も拡大していった。
これにより従来の政治制度がうまく機能しなくなったため、グラックス兄弟が改革を試みる。
なお、グラックス兄弟は、スキピオの孫にあたる、名門中の名門である。

彼らの改革は基本的には農地所有に関するもの。
貴族が保有できる農地に上限を設け、無産者に農地を与えることで、失業者対策とし、同時に社会不安をなくし、中堅市民を増やす、というもの。

しかし元老院は、国政を動かすのは自分たちだと思っている。
兄弟は、元老院との対立の中で死に、改革は頓挫する。

兄弟の次に登場するのが、マリウスとスラ。
マリウスは軍事で名をなし、執政官になる。
マリウスが行ったのは軍制改革。
今までは徴兵制であったのを志願制に変える。
失業者を軍に吸収したのである。
また、マリウスはゲルマン人の侵攻も食い止めている。
のちにローマ帝国はゲルマン人の大移動によって滅亡することになるが、すでにこの頃にはしばしばゲルマン人の侵攻があったのである。
紀元後に突如として現れたわけではなかった。
ゲルマン人への防衛線を確立しようとしたのはカエサルだが、これは追って述べる。

ローマには、農地の問題のほかに市民権の問題があった。
イタリア半島における同盟市は市民権を持っていない。
ポエニ戦争中はローマを守るために、ハンニバルの攻勢に耐え続けた同盟市だったが、その後も市民権がなく本国ローマとの不平等に業を煮やし、一斉に蜂起。
同盟市戦争が勃発する。
ローマはマリウスやスラたちが指揮を執り、対抗。
結果としてはローマ市民権を与えることで解決を図った。
これにより、イタリア半島は本国ローマと同盟市により成り立つのではなく、ローマを首都とする国家となる。

同盟市戦争の後、マリウスとスラの対立が鮮明になる。
年齢差は約20歳で、マリウスの方が年長である。
双方ともに武力をもってローマを制圧し、反対派を粛正する。
ちなみに、カエサルはスラによる粛清を辛くも免れている。
このとき消されていたらローマの歴史、どころか世界の歴史は変わっていただろう。

話が前後するが、マリウスは、スラがオリエント征伐に行っている間がローマを手中にしたが、老齢のため死ぬ。
スラはオリエント征伐が優先だと考えローマにはすぐには戻らず、オリエント征伐を終えたのち、ローマに戻り、マリウスの残党を破り権力を握る。
そのうえで、元老院を中心とした改革を行ったうえで隠棲し、寿命を迎える。

スラ派の人材としては、ルクルス、クラッスス、ポンペイウスらがいる。
後二者は、のちにカエサルとともに第1回三頭政治を行う。
ルクルスとポンペイウスは名高き軍人、クラッススは経済界の大物といったところ。
これらの他にも登場人物がいるが、彼らが、内部的な権力闘争もありスラの作った体制を崩していく。
スラ派の人物たちの中ではポンペイウスは若手だったが、その類稀なる将才が他の追随を許さず、人気を得、のし上がっていく。
先輩格にあたるルクルスにも引導を渡し、権力を握っていく。

ルクルスは、支持を得られなかった理由として、こう述べられている。
ルクルスは、自らの才能の優秀さに自信をもっていた。・・・優秀な自分が耐えているのだから、兵士も同じく耐えるべきと考えていたのである。・・・優秀なルクルスには、自分にまかせておけば良い結果につながるという自信が強すぎたために、兵士たちを積極的な参加者に変えるに必要な、心の通い合いの大切さに気づかなかったのであった。
ルクルスは東方に派遣されていたが、彼に代わったポンペイウスが、セレウコス朝シリアを滅ぼし、小アジアを勢力圏に置いた。

こうして、ローマで圧倒的な力を持つにいたったポンペイウスだが、彼は体制を変えることはせず、それはカエサルが行うこととなる。

最後に言葉を紹介する。
「歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はこの後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼らは、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。・・・危機にあっては、既成のものと新しいものとが交ざり合って一つになり、偉大な個人のうちにおいて頂点に達する。これら偉人たちの存在は、世界史の謎である。」
---世界史についての諸考察(ヤコブ・ブルクハルト)

ついにカエサルが登場する。
次巻。





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羽鳥ログハウスの四季ローマ人の物語 勝者の混迷(1)
「勝者の混迷(下」ローマ人の物語7、塩野七生 なんにしようかな。
気ままに読書 ローマ人の物語 6,7  勝者の混迷(上)(下)



2013年11月03日 (日) | 編集 |
ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫)
塩野 七生

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イタリア半島統一(BC270頃)からポエニ戦争後(BC140頃)まで。

シチリアを巡る紛争から海運国カルタゴと争うこととなったローマ。
海戦は苦手なはずだが、敵船と自船をつなげる方法を編み出し、陸戦さながらに勝利を重ねる。

前回の末尾で述べたとおり、ローマは海の民ではない。
海戦は不得手だったことを自ら認識し、海上の戦いを陸上のそれと同等にするために、船に“カラス”と呼ばれるものを取りつけた。
筒状の棒(というには太いが)を船に立てておき、それを敵船めがけて倒し、橋渡しをするというもの。
ローマは白兵戦では敵なしだったので、この“カラス”による作戦が功を奏し、海戦でも勝利した。

もう一つ、カルタゴは象部隊を持っていた。
火器が発達するまでは、象は戦車のようなもので、世界のほかの地域でも象部隊を使った例はある。
しかし数度の戦いを経て、象部隊に慣れたローマはこれも破る。
そうしてシチリアを勢力に入れ、周辺の制海権を得て、カルタゴを圧迫した。

ローマは、プライドがないという見方もできるくらいに、他民族のものを遠慮なく取り入れ、合理的に活用する能力を持っていた。
これがローマが強大になった理由ではないかと思われる。
しばしば自己のプライドに縛られ身動きが取れなくなっている人あるいは組織を目にするが、そういう人・組織は決して強くならない。
自分が何でもできるとは思わず、取り入れるものは取り入れる、任せるものは任せるという割り切り具合、合理性、柔軟性が、ローマを強大にしたのではないか。

ローマが好きな、仕組み化・マニュアル化の一つとして、行軍・野営に関する記述がある。
ローマ軍全体は、ローマ本体の軍と同盟市等の軍からなるが、その行軍の順序が定まっている(事情によって臨機応変の対応はあったらしい)。
また、野営の陣地作りもマニュアル化されている。
これは、1年ごとに執政官(コンスル)も兵も入れ替わるから、だれがやっても同じ結果になるように、との必要性から生まれたらしい。
会社なんかでも仕事が属人化するとろくなことがないが、ローマ人はこの弊害を防ぐことに気を遣っていたのだろう。

第1次ポエニ戦争に敗北したカルタゴのハミルカルはイベリア半島を植民地化する。
ハミルカルの息子がハンニバル。
成長したハンニバルはアルプスを越え、北からイタリア半島に侵略。
ローマの指揮官の誰もハンニバルに勝つことができず、ハンニバルはイタリアを席巻。
しかし、首都ローマをすぐには落とさず、ローマ連合の解体を目指す。

ローマはハンニバルの補給線を断つべく、カルタゴからの援助を封じ、イベリア半島に軍を送ることで対抗。
イタリア半島内でも、直接の会戦を避け、持久戦に持ち込む。

イベリア半島には派遣された、というか自ら志願したわけだが、スキピオはこれを制圧、のち、北アフリカに侵攻。
ハンニバルはカルタゴに呼び戻され、スキピオと決戦。
勝利したのはスキピオ。
これで地中海の西半分の覇権はローマが握る。
こののち、マケドニア、カルタゴも滅ぼし、小アジアまで手が届くようになる。

主戦力の非戦力化、ということが繰り返し言われていた。
ハンニバルにせよスキピオにせよ---と言ってもスキピオはハンニバルの戦術を学んだから当然同じなのだが---敵軍の主戦力を足止めしている間に、敵の非主戦力を騎兵などで撹乱し、そののち敵軍全体を包囲殲滅するという戦法が多かったように思う。
真正面からぶつかるのではなく、自軍の兵科の有機的活用ということが何度も言われていた。

軍事の話題は忌避されがちだが、組織を最も効率よく動かすにはどうすべきかという観点ではよく練られているので、他の組織においてもそれを応用することは可能と思う。

シチリアという穀倉地帯を得たことでイタリア半島の農業に変化が生じ、領土が拡大したことでさらに外の国・民族と接することとなったローマ。
そういった変化から、数百年続いてきた政治体制がうまく機能しなくなり、改革しようとする者が現れ、ローマに内乱が生じる。
次巻。



いくつか言葉をメモしておく。

年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成しとげられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。
(文庫版5巻22ページ)

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
(文庫版5巻53ページ)

現代の研究者でも、古代=奴隷制社会=搾取、ゆえに悪、と断定して疑わない幸福な人は別として、紀元前二〇〇年のここまでのローマ人を悪く評する人はほとんどいない。
(文庫版5巻94ページ)

最後のは少し説明が必要だろう。
奴隷というと、鞭打たれながら死ぬまで肉体労働に従事させられるというイメージが何となくあるが、ローマの奴隷はそうではない。
単に、戦争に負けて捕えられた人々といった感じで、特殊な技能を持つ人は高い給料をもらっていたようである。
特に、これは後々の巻で詳しく述べられるが、ギリシア人の家庭教師などは貴族の子弟の教育のために必要で、またそういった子弟が成長して国政に携わるようなときには、協力者として、必要な存在であり、奴隷の中でも地位の高いものとして遇されていた様子。
そして、奴隷であっても一定の条件を満たせばローマ市民権を得ることができた。
奴隷だからという差別はなかったようである。
ある民族が他の民族より優れているといった幻想・妄想に基づくものではなく、単なる勝者と敗者でありそれ以上の意味はなかったようである。





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2013年11月01日 (金) | 編集 |
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
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ローマ建国(BC753)からイタリア半島統一(BC270頃)まで。

王政に始まり、共和政に。
ローマ建国当初、周囲はといえば、ギリシアでアテネ、スパルタといった都市国家を建設して隆盛を誇っている。
南イタリアはギリシア人、北イタリアはエトルリア人、地中海を挟んで北アフリカのカルタゴはフェニキア人がそれぞれ支配し、ローマは弱小すぎて誰も気にしないという状況。

ローマは周辺の部族に勝利すると、その部族を自らの支配者層にまで取り込み(元老院の議席を与えた)、力を増していく。
元老院というと“長老”のようなイメージがあるが、そうではなく有力者の会議体という位置づけ。
ここを間違って理解していると、この後ずっとローマ史が正しく理解できない。

王政を配した後は、二人制・任期1年の執政官(コンスル)という役職を設けた。
コンスルは選挙で選ばれる。
王にせよコンスルにせよリーダーシップをとるものは必要だという認識からうまれた仕組み。
しかし、終身にしなかったのは王政への反省から。
国家の危機に至っては独任制・任期半年の独裁官(ディクタトール)が選ばれる。
強大な権限を持つから任期は短くするという。

アテネでの民主政はペリクレスの時代に完成する。
しかし、ペリクレスという強大なリーダーシップを発揮したたった一人の人間が民主政を完成させるという。
見方によっては彼は独裁者だが、巧みな政治力で支持を得続け、アテネを繁栄させもした。

後進国ローマは、先進国アテネに人を派遣するが、アテネの真似はしなかった。
一人の天才に頼らなければならないよりも、組織永続の仕組みを作ることを模索した。
貴族と平民の対立も目立つがコンスルに平民も就任できるようにするなど仕組み作りについては極めて合理的。
国民性の違いとか民族性の違いとか言ったらそれまでだが、ではなぜそのような違いを持つに至ったか、は良く分からない。

そのような仕組みを作って国内を安定させ、周辺に進出する。
一度はローマ陥落の憂き目に遭うが、時間をかけ復活を遂げ、イタリア半島の統一を進めていく。

紀元前4世紀後半にはマケドニアにアレクサンダー大王が現れるが、彼はペルシアからインドへと向かったので、ローマが彼と戦うことはなかった。
もともとギリシアはペルシアとの抗争もあったので、ギリシアを得たアレクサンダーはイタリア半島を見てはいなかった。
まだ見るに値しない小国であったというのもあるかもしれない。
アレクサンダーが長生きしていたら、ヨーロッパ・アジアの歴史は大きく変わっていただろうか。

兎にも角にも、イタリア半島を統一したローマはフェニキア人のカルタゴと見えるに至る。
ローマ人は陸の民、フェニキア人は海の民、どのように交わっていくのか。
次巻。





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